サンフランシスコ クリフハウスにて。


写真は大正時代にサンフランシスコ クリフハウスに作られた日本茶喫茶での写真とと現在のクリフハウス(2018年1月撮影)
輸出が盛んであった時代、主要輸出先のアメリカの写真などを見てもティーウェアは全て紅茶のものばかりです。
どうやって日本茶を飲んでいたのか?それは紅茶用のティーウェアです。というより、お茶は基本全て同じ道具でと考えた方が自然です。
そして何より、今、私たちが日本茶をいれる道具として当たり前に思っている急須自体、当時の日本では一般的では無かった事を忘れてはいけないのですね。
茶の総生産量のほとんどが輸出された時代、横手の急須などは一部の趣味の道具であった頃です。
振り返れば一般の人が日常に使う茶器は土瓶であったり、ヤカンであったりしたのは昭和も半ばの頃であり、急須が一般的になっていくのは昭和30年以降でしょう。
明治、大正時代、一般的な日本の生活にありもしない急須が輸出などされるわけがないといった当たり前の答えに行きつくと流石に、なんて自分は頭が悪いのかと呆れます。
学ぶほどに何故、こんな事に気付かなかったのかと思うことばかりです。