品種は大事ですが、それだけでは美味しいお茶や個性も含めた特徴のあるお茶にはなりません。

過日、時折セミナーなどで品種茶を数点セレクトしてご用意させていただく方よりお話しを伺う事がありました。
「石部さんが用意してくださる品種茶はそれぞれの個性も感じられて、美味しいし楽しいです。特に蒼風は好きなお茶です。半ばこれが当たり前と思っていましたが、別のところから手元に来た蒼風は蒼風らしさが無く、美味しくもありませんでした。」
「ありがとうございます。その蒼風を拝見していないので何とも言えませんが、特に今年は早生のお茶は製造に苦労した年ですから、品質の差が大きくなっているかも知れませんね。蒼風は生産量も少なく、分母が小さなお茶です。これは品種茶全般に言える事ですが、生産量が僅かで生産者が片寄っている様なお茶は品質の差が大きいものです。特に山峡などは茶業者を含めて、製造上の欠点を品種の味と勘違いしている方も多いですよ。」
「そうなんですか。蒼風だから美味しいのでは無いのだと実感した出来事でした。」

「やぶきたも同じですね。やぶきたは温和で香味のバランスに優れた非常に優良な品種ですが、美味しく無いお茶を作ってしまう生産者は大勢います。そして、美味しいお茶を作る生産者も。これは産地も含めた生産量の大きさ故に選択の幅が広いという事です。お茶の美味しい、美味しく無いとする多くの場合はやぶきたをベースにしたものですね。」
「ありがとうございます。確かにそう思います。」
「品種は大事ですが、それだけで美味しいお茶や個性も含めた特徴あるお茶にはなりません。栽培、製茶、仕上げ、そしていれる方も含めてそれぞれの場で機能をしてこそ出来るのですよ。」
「品種のお茶をご用意くださるのはご苦労も多いのですね。ありがとうございます。」
「いえ、仕事ですから。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。」


