モノづくりの現場にて。常滑急須と静岡茶

常滑にて、モノづくりの現場。
淀むことなく、迷うことなく、手が動く様子を見る。
動きの全てが形になっていく。
息をするがごとくに進む仕事。

インターネットなどの情報発信をなさる職人さんと少し話をした。
「情報を伝えることに熱心ですよね。」
「石部さんが言ったからだよ。」
「常滑の職人さん達が当たり前と思っていること。そのひとつ、ひとつに値打ちがあるんです。当たり前に使っている道具、動作、工夫。藻掛けを知っている人なんてほとんどいないんです。」

別の職人さんとも話しをした。
「常滑の急須は決して長い歴史があるわけではないよ。急須だけをつくるようになったのなんて父の代からくらいだし、その父も急須なんて売れなくて本当にあちこちに持っていったんだ。苦労している中、どうにかぽつぽつ売れるようになり、高崎の商店が気にいってくれて沢山買ってくれた。家へ来て、サンテナーにはいって積まれていた急須を、これ全部買うよ。と言ってくれて助かったと話していた。」

常滑の急須は昭和の時代、精度と生産量を急激に上げていった産地なのだろう。何代も続いているような窯元はほとんど無い。
後発の産地、その仕事のほとんどに分業が無く小さな窯で焼成される急須。大きな産地ほど分業が進むのが普通だ。生地製作と絵付けが別なんて事も当たり前にある。
過日、茶器問屋の社長との会話
「常滑みたいなところは何処にもないよな。ほとんど一から十まで自分で作ろうとするなんてなあ。」
「ええ、そう思います。」

明治、大正と茶の輸出が盛んであったであろう時代。残された海外の写真に急須の姿は無い。あるのは紅茶などのティーウェアだ。

私が茶業を生業とするようになって17年、常滑とご縁が出来て僅か16年程度。
静岡茶と常滑急須、長い歴史の中で一瞬の接点なのだろう。

機械製茶によって工芸作物の成熟の域に達した「茶」。手に技術が滲みこむまで急須づくりに携わった職人の「常滑急須」
貴人でもない一般の人がそれらを手元で楽しめる21世紀の今。
当たり前のように思っているこの時間は奇跡にも等しい。
出来ることなら共に未来へ。
次世代にもこの宝物を手渡していきたいものだと切に思う。
叶わぬともそれに向き合わずにはいられない。
