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日本茶インストラクター Nishikien owner's weblog 


日本茶インストラクターの店主によるお茶や茶器などにまつわる事柄。

2013年7月23日 日本茶文化史講義

先日、ご縁があって静岡産業大学にて講義をさせて頂きました。補講なので少ないかも知れませんとのことだったのですが70名近い受講生が出席。半年間に渡ってお茶についてを伝えた講師の努力の賜物だなと心が動くとともに、お茶に関しての勉強をしたいと思っている若者が多いことに驚きました。

「日本茶文化史」と題された講義は開講の際に、ひと桁しかいないのじゃないかとも言われたそうです。それが蓋を開ければ3桁に届く申込み人数だったとのこと。
今回ご依頼を頂いた講義に際して資料をまとめている時に再度実感したのですが、お茶は間口が広く奥行きもあり、学びの幹、枝葉ともに太く大木のようです。体系立てて学べる環境が整えば、実に素晴らしいことにように思えます。

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キャプチャ

日本茶・産地の今、嗜好品としての茶へ。

日本ならではの茶生産を、継続可能なものとしていくには荒茶価格で平均単価が¥5000/kg以上でなければならない。
つまり、仕上げ茶として¥1200~1500/100gクラスのお茶を中心に販売していかない限り、茶産地の未来を食いつぶしているということだろう。安価なお茶をどんなに沢山販売してもそれは会社や個人に都合がいいだけで、その根幹となる部分を疲弊させているだけといっていい。かといって、出来の悪い茶を高価格で仕入れることなど出来はしない。生産者はその価格帯に見合う茶を生産してくれなければ買いようもない。茶価が安いという声を聞くが、値段なりのものが多いのも事実。


効率化を旗頭に邁進してきた大型機械による茶生産は、実は外国での生産を可能にするということとイコールになる。お茶に限らず、小さく、細かくするほどに正体は見えなくなってくるものだ。知ってか知らずがそんなお茶が溢れかえっている。

今ならまだ世界に向けて「嗜好品」として胸を張れるお茶が日本にはある。ただ、今のままの延長上には未来は無いことだけは確かだろう。茶業界は歴気を振り返るとここ100年ほどの間にいくつものターニングポイントがあった。今はまさにその時のように思える。

茶の「~にいい。」や「健康にいい。」といったような保険成分を前面にしていくのであれば、何も日本でつくる理由はなく、事実として日本の研究によるこの部分の情報は海外生産の製品にこれ幸いとばかりに利用されています。日本産ではない「日本茶・日本式の緑茶」と表記された安価なお茶が店頭にすでに並んでいる。

海外と比較して、約5倍は高いとも言われる日本の農産物。価格差にさらされることは必然であり、そこに挑むのであれば安価な仕入れの方向にならざるを得ない。ただ、これは継続可能な日本ならではの茶生産の姿なのかといえば疑問だ。また、良質な茶生産が可能な山間地は大量生産が出来る環境ではない。

機械化されたものづくりというのはある意味で非常に脆弱だ。生産機械の製造、メンテンスが出来なくなれば人がいても作れなくなってしまう。現在の良質な日本茶は伝統工芸品と大量生産品の中間にあるもので、最も無くなってしまう可能性が高い。伝統工芸に近い、手揉みのお茶は今後も残り続けることだろう。大型機械による大量生産のお茶は圃場整備をし、より効率化を目指せば(生き残りゲームではあるが)一部の企業は残っていけるかも知れない。
だが、先人が残した明治より始まる手揉み製法を機械化した「日本茶のもっとも日本茶らしい製品」はこの流れの中で消えていくしかない危機的な状況でグズグズしていれば気がついた時には無くなってしまう。
無くさないように出来るのは誰でもない、物を売る者であり買ってくださる方達だ。

規模は異なるが、フランスのワイン生産と販売は参考になるように思う。
1本100万(この値付けには疑問も無くはないが)から100円まである嗜好品。お茶とよく似ているように思えるが違う。ワインは国内で嗜好品として「消費」されているのだ。高価格帯の食品を「嗜好品」として楽しめる環境が出来上がっている。お茶の弱い部分だ。

高価格帯のお茶はギフトとして使われ、その味を楽しもうとして自ら購入する人は少数派になっている。高いお茶の美味しさを伝えて来ることに力をいれてこなかった結果だ。

だが、であるのなら今なら出来ることはまだあるということでもある。

東頭荒茶

60k製茶ラインによる荒茶


静岡産業大学情報学部の「日本茶文化史」にて

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ご縁があり、静岡産業大学情報学部の「日本茶文化史」にてお話しをさせていただけることになった。
対象は18~20代前半の学生、茶業に関わっているわけでもなく、その年齢の時の自分を振り返り、どんな様子だったのかを思い起こすと、さてどうしたものかとなった。

何を伝えようかとしばらく考える日々が続いたが、たどりついたのはそれぞれの「都合」を出来るだけ排してみようということだった。
人は自分のコトが可愛い生き物で、していることやしてきたことを認めて貰いたいと思うものだ。保身は常のことであり、それ自体は悪いことばかりでもないのだろう。勿論、私もその一人であることから逃げられない。自らに都合よく語ろうとする。「それぞれの都合、正当化のせめぎ合い」が社会の一面でもある。
一度、それらを突き放して「何故こうなったか。」を是非ではなく事実として話してみたい。

以前に手に入れた昭和50年のお茶の本をきっかけにして、お茶はどのように変わっていったのかをお茶の歴史年表などを重ねながら、品種・摘採・製茶・仕上げなどと合わせて話せたらと思う。実に久しぶりに資料を集めて整理し、考える時間になった。

「今のお茶、昔のお茶の味と違うんだよねえ。」試飲台の向こう側でお客様がつぶやいた言葉が過る。

そう、その通りです。お茶の味は変わりました。変わらずにいることの方が難しかったのですよ。きっと、これからもそうでしょう。
その理由は実はシンプルなことです。

明日、会うであろう若者たちが「お茶が変わっていったこと」についてを考え、それは何事にも通じることだとぼんやりとでも心の中に残せたら幸いに思う。

しかし、教える立場の人というのは偉いなとしみじみ感じた。
伝えることに整合性を持たせつつ、事実と考え方を伝えていく。自分の為ではなくだ。私にはちょっと出来そうもない仕事だ。

試飲催事にて。

試飲催事にて、お客様に香駿は桜葉や桜餅のような香りがするお茶なのですよ。とお伝えしたところ、「ホントだ。でも、私、道明寺(桜餅)キライなのよ。」とのこと。
それは、失礼しました。こちらならどうでしょうと「蒼風」を続けてお出しすると「あ、これは好きな味です。」

そんな会話があって暫くして、「私、このお茶(香駿)が好きなのよね。」とおっしゃりながらレジに手ずからお持ちになる別のお客様へ「香駿、おいしいですよね。」とお声をかけさせていただきました。

さて、茶業者がいう「お茶の味の違い」というのは一般の方には分かりにくく、「ほとんど同じもの」です。その理由のひとつは違いについてを「やぶきた」の中で語っているからでもあります。

また個人生産家が減り、大型工場、大型機械が増えて、鮮度と色に偏り過ぎたお茶が大量に出回る中、個性の無い中庸なお茶が溢れているのが現状です。

茶業者の語る違いなど、一般の方にとっては「ほぼ同じお茶」であって「代わりの効く存在」となっています。

個性的な香味の品種茶を茶業者個人の好き嫌いではじいてしまうのは、そのお茶が好きな方に楽しさとおいしさを伝える機会を自ら捨ててしまっていることとイコール。

品種茶は「このお茶でなくては。」と思ってくださるファンを獲得出来る宝物です。

中庸で万人に嫌われないことも大事ですが、好き嫌いが分かれるくらいの個性があった方が何事も面白い。お茶も人もね。


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写真は 2013年7月11日 静岡新聞

試飲催事に関してのご紹介をY!ニュースでも配信がされました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130711-00000005-at_s-l22&1373498996

2004年産-摩利支をグラスに。

使いさしを窒素充填して冷蔵庫に戻したのは一年前だった。
ほんの少しだけ色がくすんだようにも見える。

湯を注して茶葉を落とすと懐かしい香りがゆるゆるとひろがる。
どこかシナモンを思わせるような香気。
遠く、近くからただようような。

滅多にかけることのない歌がプレーヤーから流れる。
確か沖縄の歌手がつくった歌。

湯をさらに注ぐと緑の霧。
口にすると早生らしいやさしい味わい。

すでにお茶ではなくなってしまったものなのだろう。
九年の時が流れ、今日、このお茶を口するのは私だけなのかも知れない。
お茶のままでいてくれたらなとの思いが無いわけではない。

切られて短くなった茶袋を閉じた。


摩利支20130707

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