夏の園地まわり。品種と在来を考える
先日の園地まわり、産地は二番茶の摘採を終え、生産者が草取りや防除などをしている姿を見る。

<手前の濃いところは摘採を終えたところ。奥のやわらかな緑色に見えるのは、一番茶後に中切り更新をして芽が伸びているか、二番茶の摘採をしなかった茶園です。>
山間地には古い在来の園地もあり、品種導入された園との比較が容易だ。一番茶時期より、園の違いははっきりしている。大きく感じるのは管理のされ方の違いかも知れない。特に「二番茶は管理で取る。」とも言われ、価格は安くとも良質な二番茶の芽を取るのは一番茶以上に難しいことだからだ。

<品種導入茶園「かなやみどり」。更新一年目の茶園。二番茶の摘採が終わっている。親葉の大きさも揃い、美しい。秋にかけての葉層の形成を追って見て行きたい園地。>

<ヤマイモのツルが畝面につたっている在来園。畝間にも雑草が多い。二番茶の摘採はされていない。>
在来は生産者や関係者の「飲み茶(自家用茶)」とされることが多く、お金を生まないお茶になっている。(私が在来に拘り、手摘み摘採を依頼したり、品質の面での向上をお願いして生産をしてもらっている事は業界としても異端であることは間違いない。)それ故に摘採と製造は一番茶のみのことが多く、管理も等閑にならざるを得ないのがほとんどだろう。 様々な条件が重なってのことなのだが、樹勢のよい品種導入の園と比較し在来園はみすぼらしい様子になっている。

<ムラサキツユクサが顔を出す。今頃の時期、園地を回っていると見かける。管理がされている園では、抜かれていることがほとんど。>
芽の色はバラバラで、大きさは小さくすぐに出開き、葉層は薄い。かといって中切り更新などしようものなら、摘採面は更に不揃いになりかねない。比べて、品種導入された園は葉の色、大きさも揃い、更新もしやすい。手摘みではない摘採が主流となった今、良茶の生産には不可欠と言える。製品として出来上がった時の見た目の美しさも品種による恩恵が大きい。 一般の消費者ではない立場から見て、生産性や品質など既存の価値観の中に在来の持つメリットはゼロに近い。
ではなぜ、在来にこだわるのか。皮肉なことだが、品種が導入されたからこそ「在来」に意味が出てくると考えている。実生(挿し木ではないということ。現在の品種茶園は全て挿し木。)によって土地に根づき、そこにしかないということ。香味の複雑さ、その土地ならではの特長を製品の中に持ち他では出来ない製品となるのが在来なのだ。
根が深い為、干害にも強い。病害虫の大量発生も比較的しにくい。凍霜害で全滅ともなりにくい。園地の形や色などが面白く、商品の物語やパッケージもつくりやすい。そして、在来はビンテージ茶としての面白さがある。数年分の在来を年度ごとに持っているが、保存性やその香味の変化や楽しさは品種茶以上であることは間違いない。
勿論、在来が全ていいワケではなく良茶生産のハードルは低くない。それは園地や生産の状況を見ても明らかだ。闇雲に「在来がいい。」などという者の言葉は疑わしいこと甚だしい。
ただ、既に園地にある土地の持つ財産として活用できる可能性は大きく、生産者や仕上げ業者の技術も含め扱う者の努力によっては魅力的な「製品」となれるし、「製品ではない本来の茶」となれるのも在来だけだろうとの確信を持っている。

<手前の濃いところは摘採を終えたところ。奥のやわらかな緑色に見えるのは、一番茶後に中切り更新をして芽が伸びているか、二番茶の摘採をしなかった茶園です。>
山間地には古い在来の園地もあり、品種導入された園との比較が容易だ。一番茶時期より、園の違いははっきりしている。大きく感じるのは管理のされ方の違いかも知れない。特に「二番茶は管理で取る。」とも言われ、価格は安くとも良質な二番茶の芽を取るのは一番茶以上に難しいことだからだ。

<品種導入茶園「かなやみどり」。更新一年目の茶園。二番茶の摘採が終わっている。親葉の大きさも揃い、美しい。秋にかけての葉層の形成を追って見て行きたい園地。>

<ヤマイモのツルが畝面につたっている在来園。畝間にも雑草が多い。二番茶の摘採はされていない。>
在来は生産者や関係者の「飲み茶(自家用茶)」とされることが多く、お金を生まないお茶になっている。(私が在来に拘り、手摘み摘採を依頼したり、品質の面での向上をお願いして生産をしてもらっている事は業界としても異端であることは間違いない。)それ故に摘採と製造は一番茶のみのことが多く、管理も等閑にならざるを得ないのがほとんどだろう。 様々な条件が重なってのことなのだが、樹勢のよい品種導入の園と比較し在来園はみすぼらしい様子になっている。

<ムラサキツユクサが顔を出す。今頃の時期、園地を回っていると見かける。管理がされている園では、抜かれていることがほとんど。>
芽の色はバラバラで、大きさは小さくすぐに出開き、葉層は薄い。かといって中切り更新などしようものなら、摘採面は更に不揃いになりかねない。比べて、品種導入された園は葉の色、大きさも揃い、更新もしやすい。手摘みではない摘採が主流となった今、良茶の生産には不可欠と言える。製品として出来上がった時の見た目の美しさも品種による恩恵が大きい。 一般の消費者ではない立場から見て、生産性や品質など既存の価値観の中に在来の持つメリットはゼロに近い。
ではなぜ、在来にこだわるのか。皮肉なことだが、品種が導入されたからこそ「在来」に意味が出てくると考えている。実生(挿し木ではないということ。現在の品種茶園は全て挿し木。)によって土地に根づき、そこにしかないということ。香味の複雑さ、その土地ならではの特長を製品の中に持ち他では出来ない製品となるのが在来なのだ。
根が深い為、干害にも強い。病害虫の大量発生も比較的しにくい。凍霜害で全滅ともなりにくい。園地の形や色などが面白く、商品の物語やパッケージもつくりやすい。そして、在来はビンテージ茶としての面白さがある。数年分の在来を年度ごとに持っているが、保存性やその香味の変化や楽しさは品種茶以上であることは間違いない。
勿論、在来が全ていいワケではなく良茶生産のハードルは低くない。それは園地や生産の状況を見ても明らかだ。闇雲に「在来がいい。」などという者の言葉は疑わしいこと甚だしい。
ただ、既に園地にある土地の持つ財産として活用できる可能性は大きく、生産者や仕上げ業者の技術も含め扱う者の努力によっては魅力的な「製品」となれるし、「製品ではない本来の茶」となれるのも在来だけだろうとの確信を持っている。
日本茶専門店 錦園 石部商店
錦園店主 石部健太朗
日本茶インストラクター(02-0362)
錦園店主 石部健太朗
日本茶インストラクター(02-0362)