常滑焼 職人急須「宝生庵 黒」

磯部さん作の宝生庵「黒」です。ファーストロットは丸さと可愛らしさを考えましたが、セカンド以降は宝生庵 鉄色の形に近づけました。急須はやはりお茶をおいしくいれる為の調理器具です。ファーストロットをお持ちの方はある意味値打ちです。あんなに可愛らしい急須はめったにないでしょう。(特に、オーダーで左利き用を手にしているITABASHI様。値打ちです。壊さないようにしてください。)
さて、急須の良品を手にする環境は日々厳しくなっているように感じます。よい品を作り出す職人諸氏は年齢を重ね、円熟の域に達しています。作業の様子を見させて頂くと、ここまで自分の意思を土に映すことが出来るのかと驚きます。もとはただの土なのに、手の中で姿を変え道具になっていくのを目の当たりにすると心が震えます。
ただ、未来を担う方達の環境、急須の原料になる土、全てが厳しい状況です。日本の高度成長期というのは国のそこかしこに歪みを生みもしましたが、技術を育てもしました。急須つくりの技術もそんなことのひとつです。
お付き合いのある方に「石部君、急須は紅ければ売れた時代があるんだよ。手に入れる為に現金を札束でお茶屋さんが持ってきてね。お金が金庫に入りきらなかった事もあったなあ。」これはフィクションでもなく事実なのでしょう。ロクロをひく手から指紋が無くなるほどの仕事量、手が仕事を覚えるに十分な環境。現在においては考えられない環境といえます。
別の急須をつくる方から聞いた言葉「石部君、20年仕事をしたから出来る品もあるんだよ。」実際の苦労が分からない私が口にする事こそおこがましいですが、確かにそうなんだろうなと思います。
では、今の環境が20年後の良品を生み出せるのか?私には疑問です。急須だけではありません。作家や芸術家ではなく職人が作り出す良品。21世紀初頭、それが手に入る最終コーナーのように見えています。急須が無くなることは無いでしょう。良い品がゼロになることも無いと思います。でも手軽に手に入る状況はどんどん少なくなっていくでしょう。
便利な道具とよい道具は似ているように見えて別物です。お茶や茶器を通してそんなことを伝えていけたらいいなと思う次第です。
錦園店主 石部健太朗
日本茶インストラクター(02-0362)